日々これ想定外(その弐)

[藤中隆久] 


 いつの間にか経験者のように偉そうにシャドーボクシングを語っているけど、どうして僕がこんな事を詳しく語れるかと言うと、それは、僕が経験者だから。
 その昔、僕はキックボクサーだった。プロのリングでも何戦か戦っている。なので、トレーニングをしているときの意識についても、よくわかる。シャドーボクシングのトレーニングをしているときの意識は、想定した対戦相手(シャドー)に向いていて、まちがっても「自己の内部」には向いていない。対人競技においては、相手に対して意識を向けることは当たり前で、相手に意識を向けながらトレーニングすることで、実戦に有効な技が身につく。

シャドーボクシングのトレーニング
「いまさら…つかれただの拳闘をやめたいだのと…言えねえ…」
Tomorrow’s Joe, vol.14

 現代武道の形稽古も、シャドーボクシングのトレーニングと同じく、目に見えない相手を想定して、その相手に向かって形が想定する攻防の動きをすることが、形稽古ということになるだろう。
 ということは、常に「自己の内部」に意識を向けて、自己と対話をしながら稽古することこそが、強くなる唯一の方法であると考える古武道の形稽古は、現代武道からすれば「意味不明」で「非常識」とさえ考えられるのではないだろうか。
 しかし、ここで考える非常識は、ホントに非常識なのだろうか?

 

生きるための「想定外」問答集

 日本人にとっての常識が、キューバ人にとっては常識ではないかもしれないように、前提が変われば常識も変わる。
 現代武道の前提とする戦いと、古武道の前提とする戦いは、かなり異なる。古武道の時代には、現代的なルールに従った形式の試合は無かったので、前提とする戦いは「ノールール」。だから、相手が何を仕掛けてくるのかはわからない、ということが大前提。   
 その後、現代武道が発展した大きな理由は、ルールを整備して試合ができる競技にしたこと。現代武道では、一試合で少なくとも5,6分は戦う。リングでは、1ラウンド3分で、3ラウンドとか5ラウンドとかを戦う。そして、勝っても負けても、さわやかに健闘をたたえ合って別れることが可能だ。

勝っても負けても、さわやかに
「もう一度、力石の顔を…いいだろうおじょうさん」
Tomorrow’s Joe, vol.9

 かたや古武道では、失敗や負けは、すなわち死を意味する。だから、繰り出した技は必ず成功しなければならないし、戦いには必ず勝たねばならない。なので、5分も6分も戦ったりはしない。一瞬で勝負をつけるという戦い方を想定している。

 このような違いがあれば、稽古法も異なってくるのは当然だろう。ノールールで、失敗が死につながる戦いでは、相手に一瞬のスキを見せることも許されず、また、相手に気配を悟られることも許されない。
 したがって目指すべきは、黒田〔2000年〕が述べるような「軽く、柔らかく、速く、静かで浮いている。しかも美しく動きは消える」種類の動きとなる。あるいは、沖縄にルーツをもつ糸東流空手の宗家の摩文仁賢榮〔2001年〕が述べる「空手本来の形は居着いてはならない。これは素人目からすれば、ふにゃふにゃととらえどころのない動きに映るようです」というような動きこそが、よい動きということになる。
 そのような動き方を身に着けるためには、自己の“いま-ここ”の内部の感覚を意識しながら、形稽古をおこなうことが大切になる。敵からの攻撃は、同じ状況ということはありえず、そういう意味では、常に「想定外」である。
「想定外」の攻撃を受けると、一瞬で、自己の内部は変わる。変わった自己の内部を一瞬で把握し、次の瞬間にもっとも効果的は反撃を繰り出すためには、意識を自己の内部に向けて、感覚を研ぎ澄ませて、その感覚に従ったもっとも合理的な動きを瞬時に選択する必要がある。形稽古は、その瞬時の感覚を養うためになされる。
 関節を中心としたパワフルな技を繰り出す現代武道の動きは、成功することもあれば、失敗することもある。失敗が死を意味するノールールの状況では、そんな動きをするわけにはいかないのだ。

 

生きた自分と 生きた相手

 前回の日記に綴った入試の面接での会話も、前提が違っている。
 受験生は想定内の質問が来ることに微塵の疑いも持たない、という入試を舐めた態度をとっている。ところが面接官としては、受験生やそれを指導する高校の先生が想定している程度の質問など、したくない。どうせ、お芝居のセリフのように覚えてきたことをぺらぺらとまくし立てるだけの結果が目に見えているからだ。受験生の本音を聞くためには、その想定の上を行く質問がしたい。
 面接官がそう考えているのならば、想定問答集を練習することは無意味となる。それよりも、どんな質問をされても、そこで生きた会話ができるようになっておくことが対策となるのではないだろうか。そんな人間になっておくためには、入試が近くなってから面接を想定して練習をしたりしてもダメで、常日頃からいろんなことを自分の頭で考えてみる練習をしておくべきだろう。そういう練習をしておけば、入試が近くなってから特に面接の練習をしたりする必要はない。

 付け焼刃の練習よりも、日々の生き方が大事ということであり、これは決して“非常識”ではなく、むしろ普遍的な真理といってもいいくらいに常識的だと思われるが、いかがだろう。
 となると、たとえばカウンセリングにおける会話も、クライエントに対して、良くなるためにいいアドバイスをするようなものではなく、“いま-ここ”で感じたことを述べてゆくというような会話であるべきではないだろうか。この前提を間違えると、ごくごく常識的な会話をクライエントと一緒にするという、非常識なカウンセリングをする羽目になってしまう。

常日頃から練習を
「燃えたよ……真っ白に……燃え尽きた」
Tomorrow’s Joe, vol.20

 ところで、キューバでは、歌えるか、踊れるか、叩けるか(打楽器ができるか)が、男らしさの条件ということらしい。日本男児たるもの、歌ったり踊ったり楽器を演奏したりなどとチャラチャラするべきではないので、わが国ではそんな男がもてたりはしないが、キューバでは、これができれば、女性にモテモテらしい。
 真面目人間ゆえに、わが国ではイマイチもてない私だが、これで、けっこう歌えるし踊れるし叩けるので、いずれは、キューバに移住しようか? などと考えているところである。どうせ、私の人生は、ずっと、南下しぱなっしなのである。


藤中隆久藤中隆久(ふじなか・たかひさ)
1961年 京都市伏見区生まれ 格闘家として育つ
いろいろあって1990年 京都教育大学大学院教育学研究科修了(教育学修士)
西にシフトして1996年 九州大学大学院教育学研究科博士後期課程修了
南に下りて1999年から 熊本大学教育学部 2015年から教授
6フィート2インチ 
現在200ポンド:当時170ポンド

和して同ぜず

[中島由理] 


冬の時期は花も咲かず、広葉樹は葉を落とし、森の樹々は沈黙している。

 

常緑の針葉樹は冬にも葉を落とすことはないけれども、枝だけになった広葉樹の木々に歩調を合わせるかのように、寒くなるにつれ少しずつ渋い色調に変えている。

違和感なく、枝だけになった茶色の広葉樹林に溶け込んでいる。同じ色になるのではなく、違う色だけれど、調和している。
その姿を見て、ふと、「和して同ぜず」という言葉が浮かんできた。

冬の森
Harmonize but not agree.

森の樹々は、各々全てが個性的で全てが違った姿でありながら、全体として見事に調和している姿にいつも感嘆させられる。

樹も花の時期など主張すべきときは主張もする、けれども、決して悪目立ちしたり、浮き上がることがない。
どの樹もその場所にふさわしい姿に変えても、ナラの樹はナラの樹でありながら、森全体として調和している。

多様なものが、本質を変えることなく、皆が同じになることなく、和する道を体現している。

 

人工的に植林された杉林を見慣れていたせいか、初めて見た自然林のその見事な配色や配置の見事さに感激したものだった。

遠くから眺めると、とんがった針葉樹がまばらに絶妙なアクセントを描きながら、リズムを刻みながら林をかたちづくっている。
スギやヒノキばかりだと遠目で見ても重すぎる。広葉樹の合間にポツポツと見えているのが、絶妙なのである。

 

スギやヒノキだけ植えられた林は薄暗くて気味悪く、尖った落ち葉が堆積しているだけで下草があまり生えない。
緑の砂漠、その表現どおり殺伐として、そこから早く遠ざかりたいような気配がする。
それは効率のみを考えた、多様な命を顧みないこころの表れなのかもしれない。

歩いて楽しく、目に美しい森、多様なものが混在しながらも、調和しているそんな森であるように、周囲の林を管理している。
薪ストーブに使う樹もいろいろあっていい。
じっくり長く温めるには、広葉樹の小楢やクヌギの薪が良いし、針葉樹は焚付けや一気に温度を上げるのに役立ってくれる。
いろんな状況に対処するには、いろいろな樹種、大きさの薪があるといい。

冬の森の樹木
They like this space, and they are fine.

日本の低山は広葉樹だけでなく、まばらに針葉樹もあってこそ、変化に富んだ風景を見せてくれる。

ある時、樹木医に雑木林に生えている赤松を伐採してはどうかと相談したところ、
「彼らはここが気に入ってここで元気にしているのだから、このままの方がいい」と言われた。

赤松はこの八ヶ岳近辺では植林したものが多く、その種がやってきて自然に芽生えたようだったが、その姿があまり好みではなかった。
けれど、ここ八ヶ岳山麓では冬の強すぎる風も、常緑の赤松や一位の木が和らげてくれているのだった。
生命がここに生を受けて在るということは、ここでなければならなかったという必然的な理由があるのかもしれない。

 

寒いところで生きる針葉樹は雪がよく似合う。


中島由理 (なかじま・ゆり)
京都市生まれ、同志社大学で哲学・倫理学を専攻。
自然の中での人の立ち位置を考えるなか“ほんとうの自然”を自分の目で確かめるため、自然農を試み、日本各地の原生林や高山を訪ね歩く。人の手の入らない自然の中に、驚くような調和とうつくしさを見つけて、「森」をモチーフに油彩・水彩で表現。現在、山梨県小淵沢町に居を移し、身近に自然と接しながら、制作を続ける。
●中島由理 公式サイト
http://www.ne.jp/asahi/yuri/gallery/index.html

第二話 こころとからだの関係

[齋藤清二]


みなさんは「こころ」はどこにあると思いますか?

 医学や心理学の専門ではない高校生や大学生への授業や講演などで、私は冒頭にこのような質問を投げかける。さらに重ねて、以下のように問いかけ、挙手してもらう――『こころは頭のあたりにあると思う人は? こころは胸のあたり、心臓のあたりにあると思う人は? 頭でも、心臓でもない、それ以外のどこかにあると思う人は?』。そして、以下のように続ける。

 こころがどこにあるかについての感じ方は、ひとりひとり違います。時代によっても変化します。それでも私たちはたいがい、「あたまには、ものごとを合理的に考える働きという意味での“こころ”がある」というように感じます。胸や心臓のあたりには「胸がキュン」とする歓びや、「胸が締め付けられる」ような苦しさを感じる“こころ”があります。 あたまとしてのこころを私たちは「思考」とか「認知」とか「マインド」と呼び、好きだとか苦しいというときのこころを「感情」とか「ハート」とよびます。そしてこれらの“こころ”は“からだ”あるいはボディに支えられており、密接に関連しています。しかし現代では、忙しすぎる生活のなかで「あたま」と「こころ」と「からだ」はお互いにばらばらに切り離される傾向にあり、そのことが多くの問題を引き起こしています。例を挙げると……。

 このようなイントロをへて、具体的な「こころとからだを巻き込む健康や病気についての話題」に話を進めていく。それは〈過敏性腸症候群〉だったり、〈摂食障害〉だったり、もっと一般的な〈心身症〉だったり、時には〈自傷行為〉や〈自殺〉といった深刻な話題だったりする。多くの場合、生徒や学生さんたちは目を輝かせながら聴いてくれる。このようなことを話すと手応えはある。
 しかし、ちょっと待てよ、と私は考える。“こころ”と“からだ”を別のものと考え、それについていろいろ考えをめぐらせ、そのふたつが実はつながっていると訴え、さらには「心身相関」などという大袈裟なことばを用いて説明する。……わざわざこんなことをさせているのは、いったい誰なのだろうか? 私たちは、本当に“こころ”と“からだ”を別のものだと感じているのだろうか? そもそも「こころとからだがつながっている」というのは自明のことではないだろうか? それをなぜ今さら強調する必要があるのか?

 

 私自身の学生時代や、医師になってからのことを思い返してみたい。
医学部の学生は六年のあいだに、人間の身体のすべての領域について学ぶ。解剖学、生理学、生化学、病理学などなど。学部の最後の数年間は、内科や外科や眼科や耳鼻科などの臨床の科目について学び、病院や現場での忙しい実習も経験する。しかし医者になるまでのあいだ、内科・外科・精神科などの区別はない。卒業生の90%以上は臨床医となり、さらにそのうちの大部分は「身体科医」となる。建前上、精神科医は人間の「こころの問題や病気を診る」のが専門であり、それ以外の診療科の医師は人間の「身体を生物学的に診る」ということになる。しかし、これはあくまでも医師の側の事情である。患者や家族の視点から見れば、「苦しさ」に“こころ”と“からだ”の区別はない。無理に“こころ”と“からだ”を分割してきたのは一般の人々ではなく、医学のほう、特に医学を専門分化させることを「ただの医者から専門の医者へ」とキャリアアップする手段として利用してきたわれわれなのではないだろうか?

自然の摂理がいちばんの優先道路
自然の摂理がいちばんの優先道路

 医師となり、内科医となり、さらに消化器内科医となって膵臓病の専門家となる。しかし、総合病院の自分の診察室の入り口に「膵臓病外来」という看板を掲げておいたとしても、そこに「膵臓」だけが歩いてやってくることは決してない。やってくるのは必ず苦しむ人間である。その人の苦しみは、「膵臓」という臓器だけによって説明されるわけではない。さらに膵臓そのものの問題でさえも、簡単に解決できるものではない。
 膵臓の重要な病気の代表は、膵がんと膵炎である。前者には疼痛や人生の意味や不安へのケア、後者にはアルコール依存へのケア、時には介入が必須である。糖尿病の合併も多く、心理社会的ケアや行動変容についてのスキルも必要である。生物科学的な医学に特化した知識と技術だけでは、膵臓病というごく狭い領域の疾患をもった患者さんへのケアさえも十分におこなうことはできない。
『あなたは、ご自身の状況をどのように理解しておられるのですか?』という質問は、臨床人類学者であるアーサー・クラインマン流に言えば、「説明モデルを問う質問」である。私たちは自分自身がそこにおいて生きているところの状況=世界をどのように理解し、意味づけているのだろうか? 私たちはそれをどう語るだろうか? その出発点に立たない限り医療はスタートしない。そして私たちは、目の前の患者さんがそれを自由に語ることができるような「場」をどうやって創り出していくのか?

 

 ある日、学生Aさんから一通のメールが届く。私の勤務している大学の学生なら誰でも利用できるSNSを通じての相談である。

……S先生、ちょっと相談なのですが、1か月前くらいから、体調がすぐれないんです。毎日ではないのですが、気持ち悪くて、吐き気がする日があるんです。でも、吐き気がするだけで、吐いてはいません。そういう日は、食欲もありません。寝込むとかそこまでじゃないので、たいした事ないような気がしますが、今までそんな事なかったので、ちょっと心配です。また、原因も心当たりがありません。
返信は先生のお時間のある時で結構です。それでは、よろしくお願いします。

 私は、どう応答すればよいのだろうか? 嘔気・嘔吐は、消化器に由来する症状としてはありふれたものである。そのメカニズム・原因は非常に多様であることを私は知っている。消化器に由来する嘔気・嘔吐もあれば、中枢神経に由来する場合もあり、一刻を争う病態の兆候であることもあれば、ゆっくりと進行あるいは持続する疾患の症候であることもある。摂食障害・不安障害・感情障害などといった、精神障害という観点から命名できる病態に由来する嘔気・嘔吐もあり、そういったラベルがうまく貼れない場合には、身体症状症〔DSM-5〕などという非常に便利な疾患名も用意されている。
 しかし、Aさんは今までにあまり体験したことのない「突然の体調の変化」の真っただ中にいる。Aさんは自分自身の状況を説明できる一貫性のある物語を構築できず、「混沌の物語」の中にいる。実はそれは、相談を受けた私にとっても同様なのである。一人の人間としてのAさんとAさんの世界を、私はまったく知らない。私はキーボードを叩く。

 Sです。返信が遅れて申し訳ありません。今まであまり体験したことのない体調なので、心配になっておられるのですね。よろしかったら、もう少し詳しく状況を知りたいので、以下の質問に、答えられる範囲で教えていただければ幸いです。

  1. )体調の悪さですが、いつ頃から始まって、どんな感じで続いていて、一番最近はどんな感じか、時間を追って教えていただけますか?
  2. )いちばん体調の悪い時には、どの程度生活に差支えがありますか。またそんな時はどうやってしのいでいますか?
  3. )こういう時はわりとましで、こういう時は良くないということがあれば教えてください。
  4. )なんでもけっこうですから、吐き気のほかに、ここがいつもと違うというところがあれば教えてください。
  5. )もしかしたら、こんな病気では? と心配しているものがあれば教えてください。
  6. )とりあえず、こうなったらいいなということは何ですか?
  7. )何でもよいですから、日常生活のことなどを含めて、付け加えておきたいことがあればお願いします。

 私は医学知識については専門家であるが、Aさんが何を体験しているかについては、まったく無知である。Aさんこそが、Aさん自身の病いの――いや人生の――物語の語り手であり、主人公である。ここから、Aさんと私の共同探索の旅が始まるのである。


齋藤清二 さいとう・せいじ
立命館大学総合心理学部教授
1951年生まれ、新潟大学医学部卒業、医学博士
富山大学保健管理センター長・教授、富山大学名誉教授を経て現職
こころの分野は、消化器内科学・心身医学・臨床心理学
からだの種目は、卓球

萌芽更新

[中島由理] 


冷たい風が吹き渡る季節、雑木林の木々は沈黙を守っているかのようだけれど、時折木を切る音が響いてくる。

材にするにも薪にするにも、茸のホダ木づくりも、木が休眠している寒い時期がいい。
 
 
 
木を切るということにはかなり抵抗はある。
木に近づいてみると、思った以上に太く、相当に重い。その重さは生命の重さのようにも感じられる。
切り口を見ると、樹皮のすぐ内側は鮮やかな緑色をしていて、水気を帯び、冬季は休眠しているとはいっても生命活動を続けていることを肌で感じる。

一切皆伐のような大がかりな伐採は環境面でも問題を起こすこともあるけれど、
少しずつ使わせていただきながらの伐採なら、かえって林を若返らせて活性化させ、自然は恵みを絶やすことなく与えてくれるということを
ここににきて実感するようになった。
 
 
 
最近は街中にも雑木林の風情を感じさせる株立ちの木が植えられることが多くなっている。

多くの木は芽生えてから一本立ちで大きくなるが、薪として使われてきた雑木林では、薪にふさわしい大きさになると伐採する。
その切り株からは、何本も萌芽してきて、株立ちの姿に生まれ変わるのである。

その萌芽力には驚く。更地にしようと直径30cmくらいの小楢の木を伐採し地上部が見えないように深くまで切ってもらったのだが、毎年そこから何十本もの若芽が出てくるのだった。それを何度も全て抜き取っても、萌芽は数年間続いた。

 

里山を彩る木の多くは地上部を切ってもその個体は地下で生き続けていて、春になると勢いよく萌芽してくる。
令法(リョウブ)の木などは、小さな切り株からでも何十本も萌芽してくる。
新芽はすくすく育って、20年もすれば立派な株立ちの木に育つ。
リョウブであるという、その生命の核心は変わることなく、それまでとは全く違った新しい姿に生まれ変わるのだ。
真新しく再生した木々は、若木のように生き生きと花を咲かせている。低い位置で花開いたリョウブの花は、人にも芳しい香を届けてくれる。

雑木林の木は、見かけが細くて若々しい木でも、もしかしたらかなり古参の年長者なのかもしれない。

株立ちになった令法(リョウブ)の木

雑木を切って更新することで、その周りにも変化とにぎわいをもたらすこともある。

道沿いに張り出した幹を幾本か伐採して、風通しがよくなって明るくなった森には、足元にも新風が吹きはじめた。

 

目覚め季節がやってくると、それまで薄暗くてひっそりとしていた林床が、色とりどりの菫の花や、木漏れ陽に呼応するように青く輝く筆竜胆(フデリンドウ)花で彩られ、にわかに華やぎを見せている。

林床に姿を見せたフデリンドウの花

新年早々に届いた《木立の文庫》さんの案内に切り株のイラストが描かれている。

新しい季節の訪れとともに、その切り株から三本の新しい主枝が萌芽してくる気配がする。
どんな木立の風景がひらかれてくるのか楽しみである。


中島由理 (なかじま・ゆり)
京都市生まれ、同志社大学で哲学・倫理学を専攻。
自然の中での人の立ち位置を考えるなか“ほんとうの自然”を自分の目で確かめるため、自然農を試み、日本各地の原生林や高山を訪ね歩く。人の手の入らない自然の中に、驚くような調和とうつくしさを見つけて、「森」をモチーフに油彩・水彩で表現。現在、山梨県小淵沢町に居を移し、身近に自然と接しながら、制作を続ける。
●中島由理 公式サイト
http://www.ne.jp/asahi/yuri/gallery/index.html

第一話 私のなかでの交差点

[岡田暁宜]

 交差点は、二つ以上の道が交わる場所である。“こころとからだの交差点”とは、ひとりの人間において「こころの体験」と「からだの体験」が重なる心身の体験といえるかも知れない。あるいは、こころの専門とからだの専門が交わる領域(心身医学 psychosomatic medicine)やこころの病気とからだの病気の交わる病態(心身症 psychosomatic illness)といえるかも知れない。

《心身医学》をめぐる回想から始めよう。
 私の現在の専門は精神分析 psychoanalysisであり、私の精神生活と臨床実践の中心にあるが、私の始まりは《心身医学》であった。私が現在まで約20年間、臨床心理士養成系の大学院で「心身医学特論」というタイトルの講義を続けているのは、その名残である。
 医学は、経験科学のなかの自然科学に位置づけられ、医学教育から臨床医学に至るまで、要素還元主義に基づいているといえるだろう。要素還元主義では、ある現象をさまざまな要素に分解し、それぞれの要素、あるいは要素と要素の関係を理解することを通じてある現象を理解するだろうし、ある現象と他の現象の関係を通じて新たな現象を理解するだろう。
 医師は、医学教育のなかで、要素還元主義を徹底的に身につける。因果関係や相関関係などの考え方や、概念・疫学・症状・病理・診断・治療・予後などからなる疾患理解は、要素還元主義に基づく医師の臨床思考の基本である。
 だが、私自身の経験で言えば、医師になり、臨床医としての経験を積むにつれて、主訴や苦悩を含む患者の“病気”が要素に還元できない臨床状況や、たとえ要素に還元して理解することができたとしても治療に結びつかない臨床状況に、しばしば直面することがあった。今から思えば、それらは、私にとって、医学と医療、理論と実践、理想と現実などの「間」の体験といえるかも知れないし、医学の限界の断片を体験したのかも知れない。私は、身体疾患で苦しむ患者の“こころ”を見ずに患者と関わることができなかった。そして内科に代表される身体科において、患者の“こころ”が置き去りにされていることに、私は違和感や嫌悪感があった。
 今から思えば、当時の私のなかには、R.デカルト〔1596-1650〕の心身二元論への違和感があったのである。私にとっての《心身医学》は“こころ”を置き去りにした身体医学へのアンチテーゼであり、いわゆる〈全人的医療〉から始まったといえる。内科-心療内科の研修医時代の私は、G.エンゲル〔1913-1999〕の「生物心理社会的医学モデル bio-psycho-social medical model」や「心身相関」という概念に傾倒していた。〈全人的医療〉は私にとっての第一の《心身医学》といえる。

 その当時、心身相関のメカニズムとして神経-内分泌-免疫系が注目されており、私はそれらを追求するために大学院に進学した。私は大学院でヒトの自律神経制御の研究に取り組んだ。特に心拍変動 heart rate variabilityの周波数解析による、ヒトの迷走神経活動の分析をおこなった。それらは「生物学的心身医学」であり、その研究方法はまさに〈身体分析 somatoanalysis〉といえるだろう。生理学に基づく身体分析は、私にとっての第二の《心身医学》といえる。
〈身体分析〉の過程において、私の学問的関心は、徐々に線形世界から非線形世界へと変化し、やがて「生物心理社会的モデル」を一つのシステムとして捉えるようになっていた。私にとってこれらの研究は、科学的真実の探究としてとても魅力的であったし、現在でも私の研究活動の基礎にある。しかし、これらの研究を追求すればするほど、日々の臨床から遠ざかるようになり、結局、実際の心身医療と直接結びつくことはなかった。私は、医師として、臨床と研究、こころとからだが引き裂かれていったのである。

「直線と曲線がフュージョンする名古屋駅前」

 大学医学部の臨床系の教室には、医局制度があり、教授を頂点とするヒエラルキーのなかで臨床や研究がおこなわれていた。そのため、教授が交代すると助教授以下の人事が変わることは珍しくなかった。私は、当時の教授が定年退官したあと、自分の思う臨床と研究を続けられなくなり、医学部の〈社会医学〉講座に移籍することになった。そこで、偶然にも学校保健や産業保健における研究と実践に触れる機会を得た。教育委員会との関わりや日本医師会の産業医認定の取得などは、その当時の実践経験の産物である。〈社会医学〉は、私にとっての第三の《心身医学》といえる。
 ところが社会医学では、アンケートや統計を用いた大規模調査を伝統的な方法としており、私には、社会医学の方法が「森を見て木を見ず」という姿勢に思えて、私はあまり馴染めなかった。その一方で、以前の身体分析のような「葉を見て木を見ず」という姿勢にも私はもはや馴染むことはできなかった。私は、医師としてのアイデンティティの危機にあったのである。

 以上は、私の表舞台における医師としての歴史であるが、私には、医師としての舞台裏における歴史があった。舞台裏とは、それまで主な活動の場であった大学の外における「個人的な修練」という意味である。
 それは、心療内科で経験した、心身症臨床や思春期-青年期臨床における「精神分析」をめぐる歴史である。そのなかには、F.アレキサンダーによる Holy Seven Psychosomatic Diseases やM.バリントによるバリントグループ などがあった。私は研修医時代に、非常勤で病棟回診や外来診療や夜間当直をしていたある精神科病院でG.エンゲルの『心身の力動的発達』という本に出会った。そこで私は、幸運にも、断片的ではあるが「精神分析」というものに触れる機会や、統合失調症者の身体の問題について考える機会を得ることができた。それらの臨床経験を通じて、私は研修医時代に日本精神分析学会に入会し、その後、私自身の内的なものが触発されて、大学保健センターに勤務しながら、「無意識」や「転移」を扱う精神分析的精神療法や精神分析の訓練を受けることになった。私の医師としての最初の十年の舞台裏における臨床と訓練の体験が、その後の私の臨床医としての表舞台に移り変わったことになる。〈精神分析〉は、私にとっての第四の《心身医学》といえる。

 私にとってのこころとからだの交差点である《心身医学》は、以上のように主に四つの領域があるといえるが、心身医学という言葉を最初に使用したのがウィーンの精神分析医であるF.ドイチェ〔1922〕であると言われることを考えると、私の心身医学は精神分析という源流へと回帰しているのかも知れない。


岡田暁宜 おかだ・あきよし
名古屋工業大学保健センター教授
1967年生まれ、名古屋市立大学大学院医学研究科修了、医学博士
愛知教育大学・准教授、南山大学・教授を経て現職。精神分析協会・正会員
2010年、精神分析学会山村賞受賞

日々これ想定外(その壱)

[藤中隆久] 


 僕は、かなりの真面目人間だ。どんなことでも真剣に考えて、真面目に発言している(真面目人間なので、女性にもてたりもしない)。
 そんな僕が「入試の面接においては、受験生は想定問答などの練習をせずに、ぶっつけ本番で臨むべき」なんて言っている【前号】。僕としては大真面目に言っているつもりなんだけど、そんな発言によって僕は、ふざけた人だとか、でたらめな人だとかの印象をもたれているようなのだ。いったいどうして、この真面目な男の真剣なる発言が、「でたらめな」という印象を持たれてしまうのだろう?
 それは、僕の言っていることが“非常識”に聞こえるから、かもしれない。確かに、僕が常識だと思っていたことが、他の人からすると非常識だったりすることも、たまにはあるだろう。日本人にとっての常識は、日々熱帯夜を生きているキューバの人にとっては非常識だったりするだろうから。常識とは時と場所によって変わる。
 しかし、僕の「入試の面接はぶっつけ本番がいい」説は、常識として言っているのではない。もっと普遍的な真理として、論じている。

 

相手の出かた次第?

 前回の日記に書いた文楽の「ぶっつけ本番」とは、時と場所によって変わる概念ではなく、普遍的な真理だ。
 三人の人形遣いが、刻一刻と変化し続ける本番の状況のなかで一体の人形を息を合わせて動かすためには、常に“いま-ここ”で人形の体感を共有しておく必要がある。舞台上で何が起こっても、三人が人形の体感を共有しておけば、とっさに対処できる。それは、普段のお稽古を繰り返し重ねていって台本どおりに出来るようになる、などという考え方とは、そもそも目指す芸も、境地も、違うのではないだろうか。

 古武道における「形[かた]稽古」も、同じ発想かもしれない。
剣術、居合い術、柔術などの宗家で振武館黒田道場館長の黒田鉄山〔2000年〕が、形稽古のときの意識について、こう言っている。
「それ以後、今まで意識もしなかった左右の手の返しに明確な違和感が実感されるようになった。[略]こねているという感が終始つきまとうようになった。」

自分自身が対象なのだ

「素振りというものは、いかに、自分の体が意のままに動かないかを知るためのものだ。仮想敵、据え物などが対象ではない。自分自身が対象なのだ。」
 そう、自己の内部の“いま-ここ”を感じるための稽古が、古武道における形稽古。その形稽古のときの意識は自己の内部に向かう。

 ところが、現代武道の形稽古は、その動きを繰り返し練習することによって、動き方を身につけるためにおこなわれるもので、意識を自らの内側に向けることはない。講道館道場指導部の向井〔2008年〕は、形は基本なので正しく身に着ける必要があることを強調したうえで、次のように言っている。
「形による稽古のみでは約束的なものになりがちです。十分な技の効果がないのに受けが勝手に跳んで受け身を取ったりする稽古では、真剣な場面では、少しも技が効かないことになりかねません。」

そのときの意識は仮想敵に向かっている

 ここでは形稽古に、自分の内部の“いま-ここ”を感じながら自己との対話をするというような意味づけを与えたりはしていない。現代武道の形稽古は、相手が想定されていて、そのときの意識は、仮想敵に向かっている。

 

相手のことをシャドーと呼びます

 こうした相手を想定した形稽古は、ボクシングやキックボクシングでの「シャドーボクシング」というトレーニング方法に似ている。
 シャドーボクシングとは、一人でやるものだが、目の前に対戦相手を想定して(この対戦相手のことをシャドーという)動き続けるトレーニング。シャドーが繰り出してくる攻撃を防御しながら、シャドーに向かって自分の攻撃を当てるためのさまざまな動きを繰り返す。
 シャドーが打ってきたと想定する左ジャブを、自分の左手で払い落としながら、次の瞬間に、右ストレート→左ボディブロー→右ローキックというコンビネーションをシャドーに打ち込む。さまざまな想定で防御と攻撃を繰り返しながら、3分間、動き回る。
 このトレーニングはたいへん重要で、キックボクシングのトレーニングは、シャドーボクシングにもっとも時間をかけると言っても過言ではない。いや、過言かな……?

例えば、一日のジムワークのメニューはこんな感じだ。
・ストレッチ2ラウンド
・縄跳び4ラウンド
・シャドーボクシング6ラウンド
・サンドバッグ打ち5ラウンド
・ミット打ち4ラウンド
・首相撲5ラウンド
・腹筋200回
・背筋200回
・ストレッチ2ラウンドなどの仕上げの運動
 これに、筋トレをやりたい人は筋トレを加える。
 試合が近い場合は、マススパーリング3ラウンド、スパーリング3ラウンド、などが加わる。1ラウンドは3分で、1ラウンド終了すると1分の休憩が入る。

強くなるぜ…おっちゃんの期待にそえるようにな

 ほら、やっぱり! シャドーボクシングにいちばん時間をかけているでしょ?
 シャドーの練習に時間をかけることによって、キックボクサーらしい動き方が出来るようになるし、左ジャブ→右ローキックというような基本的なコンビネーションから、右ミドルキック→右ストレート→左フック→右ローキックというような高度なコンビネーションまでも、出来るようになってゆく。シャドーボクシングのトレーニングに時間をかけることで、コンビネーションブローを体に覚え込ませることができる。
(2019年2月16日)


藤中隆久藤中隆久(ふじなか・たかひさ)
1961年 京都市伏見区生まれ 格闘家として育つ
いろいろあって1990年 京都教育大学大学院教育学研究科修了(教育学修士)
西にシフトして1996年 九州大学大学院教育学研究科博士後期課程修了
南に下りて1999年から 熊本大学教育学部 2015年から教授
6フィート2インチ 
現在200ポンド:当時170ポンド

まちかど学問のすゝめ 其の二

真実はひとつだろうか? 後半
(2019年1月22日)


●村井俊哉
1966年大阪府生まれ、バックパッカーを経て現在、精神医学者
最新著『精神医学の概念デバイス』(創元社, 2018年)
●お客さん
1969年神奈川県生まれ、歴史学研究者を経て現在、臨床歴史家
●常連さん
1967年大阪府生まれ、勤務編集者を経て現在、出版プランナー

▲村井俊哉氏(京都大学大学院医学研究科教授)最新著『精神医学の概念デバイス』(2018年)
▲村井俊哉氏(京都大学大学院医学研究科教授)最新著『精神医学の概念デバイス』(2018年)

前回からつづく(2018年10月30日に収録されたトークの後半)

 

村井俊哉
村井さん

今日このカフェで話し始めたときは、「専門性の低さは“アクセスしやすさ”にある」と思っていたんですけど、こうして考えていくと、「専門性のない分野とは“いろんな意見があるということが当然だ”と思われているような分野だ」という見方もできるかもしれませんね。「自分にはよくわからないけど答えはひとつのはずだ」というような分野には、人はあまり口を挟まない。「それは専門家に任せておこう」と思いますよね。

常連さん
常連さん

人間に関することでも、「遺伝子」の話は専門家に任せるけれど、「気持」の話は素人のわたしでも口を挟めそう、とか。

村井俊哉
村井さん

歴史なんかは微妙で、最終的には真実はひとつのはずなんですけど、見つかっていない部分も多いので、けっきょく解釈が勝負となる。

常連さん
常連さん

文芸批評などでも客観性・専門性は成り立ちにくいですね。「あなたは批評してもいい」という暗黙の基準を満たした人が批評の専門家なんでしょうか。ネット社会もそうですよね。インフルエンサーと位置づけられた人だったら発言が尊重される、みたいな。

村井俊哉
村井さん

医師免許のような資格もないですからね。分かれ目は、ファンの多さと説得力だけですね。あとは、言っていることの全体的な「整合性」でしょうね。たとえば、作品と自分の言っていることとが整合性をもっているか?

お客さん
お客さん

毎回毎回、違うことを言っていないとか。

村井俊哉
村井さん

あと、発言者自身が何かを“クリエイト”しているかどうか。たとえば、昔の有名な哲学者は割と思い切ったことを大雑把に語ったじゃないですか。それに対して、そうした哲学者について研究をしている人は、ものすごく精確性を重視しますよね。

お客さん
お客さん

そう、「哲学学者」ですよね。でも、そこに“クリエイト”したものを乗せている人は、その人自身が「哲学者」と見なされる。

村井俊哉
村井さん

おもしろいじゃないですか。

常連さん
常連さん

精神医学にも、精神医学者と精神医学学者さんがおられたり……?

村井俊哉
村井さん

精神医学史学会とかでは、事実を丹念に調べた報告がたくさんあります。ただ、そうして調べたことが、現代の精神医学に対してどういう影響をもっているかを述べることに対して、例えば患者さんへのスティグマ克服に向けて我々は歴史から何を学ぶのかといったことへの意見表明という点で、研究者らはちょっと慎重すぎるように感じることはあります。せめて、一般読者向けにその成果を伝える場合には、調べたことだけ書かずに、思い切った意見を言ってもらいたいと思うんですよ。

お客さん
お客さん

どこかしら「意見を言ってしまうと、専門家じゃなくなっちゃうかも」っていう怖さがあるかもしれない……。

村井俊哉
村井さん

その「専門家」という言葉には、たぶんいろんな意味があるんでしょうね。いま、話しながら考えてきたのは「中立性」という言葉の意味なのですが、“わからなさ”みたいなものもやはり「専門度」の基準ですよね。素人の“アクセスしにくさ”ということで、今日、話し始めたときの最初の直感に戻ることになりますが……。

▲いろんな意見の言いやすさ、アクセスのしやすさをめぐって、村井教授
▲いろんな意見の言いやすさ、アクセスのしやすさをめぐって、村井教授

 

“中途半端”をもういちど

常連さん
常連さん

前回の《カフェ》という場面のテーマでいうと、唯一の真実かどうかわからないことが、対話のなかで思いつくままに語られていく場、そんな《カフェ》の意味が、話題になりましたね。

村井俊哉
村井さん

昔は、精神医学の専門家はけっこう“思いつくまま”に語っていたと思うんですけど、語られなくなったのは、専門性に対する疑問がよく突きつけられているからじゃないでしょうか。「いい加減なことを言ってるんじゃないのか」という疑念に対して防衛的にならざるを得ない。だから「私たちの言っていることはこんなに中立的で、私たち専門家はそうやすやすとは自分の“思いつき”を口にしないのだ」という態度をとることになる。
患者さんは医療保険で病院に来られているし、ということは精神科医も国のお金で仕事をしているわけです。そして当然ながら「専門性」とか「中立性」を持った専門家になりなさい、とこれまで養成されているので、そうした態度になるのも当然のことですよね。
それでも、精神医学が本来扱っているもの自体、つまり“こころ”とは、素人でもアクセスしやすいものですよね。それからもうひとつ、精神医学は「自分の人生はどうあるべきか」といった話にも関係してきますよね。こうしたことについては色んな意見があるのがむしろ当たり前であって、「専門性」を持ちにくいはずなのです。ところが精神科医は「専門性」という鎧でガードしなければならない立場にある。
そうしたことを考えていくと、この不均衡のなかでストレスが溜まっている精神医学の専門家のこころの“オアシス”として、こころの“バランサー”として、専門家が専門性を離れたような意見を気軽に言うような場所というのがあってもいいのかなと思っています。《カフェ》が大事というのは、そういうところですね。

常連さん
常連さん

歴史の畑でも、いろんな談義が自由に交わされるフィールドがあったりします? 学会とは別に。

お客さん
お客さん

いやぁ、どうかな。昔は、専門家と専門家でない人の“あいだ”みたいな人がたくさんいて、さっきおっしゃっていたような『歴史散歩』が書けるような中学高校の社会の先生とか、そういう層が割とたくさんいたんですけど、いまはちょっと、そういう層が失われているような気がしますね。いまも昔も、「もの知り」ということではなく直接対象を観たり集めたりしている人は強いです。
昔は理科などでも、蝶を集めているとか星を観るのが好きだとか、半分は学者みたいな中学高校の先生がいっぱいおられたと思うんですけど、いまはすごく減っています。そういう層こそが、「専門家」からすれば、最高の応援団でもあり、ある意味では逆にいちばん厄介だ、ということかもしれませんが……。

村井俊哉
村井さん

“中途半端”というのが難しくなっているのではないでしょうか。いま、言われたことは、精神医学においても、けっこう真理をついていると思います。中間的な人たちが減ってきているのを感じます。なんでもかんでも「専門家に聞け」となるのも、やはり違うなという気がするんですよねえ。

お客さん
お客さん

あの層がけっこう大事だったんじゃないかと、わたしは思います。

常連さん
常連さん

心理学の本への“中間層”のニーズが減っているのもそこかもしれませんね。ちょっと小難しい本は、本当の素人の人じゃなくて、割と本を読むのが好きな層がないと成り立たないじゃない。いまは売れるのはそういう“中途半端”な読み物ではなくて、「こうすれば治る」みたいなハウツーもの、それこそダイエット本とか、コーチングとか。自己啓発みたいなものとか、そんなふうになってきていて。

お客さん
お客さん

歴史の分野でも、「信長の経営術」とかいうほうが売れるのかな。『歴史散歩』みたいな感覚が薄れているかもしれないですね。その領域を、実際に歩くという意味だけじゃなくて「歴史の世界を遊ぶ」というような感覚が…。
歴史だけじゃなくて、理科もそうですし、文学とかでも、たぶん中学高校の先生が「星の世界」とか「文学散歩」とかいう一種の教養書のようなものを書いている文化というのがあったと思うんですが……。

常連さん
常連さん

それこそ「本屋さん散歩」もなくなってますしね。

村井俊哉
村井さん

本屋でウロウロすること自体が楽しかったんですけど…… 本を買うというよりも。

お客さん
お客さん

目当てのものをというのではなくて、「本屋にいる」という時間がありましたからね。

▲精神医学でも歴史学でも、学問には専門家とアマチュアによるアプローチがあった
▲「まちかど学問」から”中途半端”の復権を夢みる、村井教授とお客さん

 

ウロウロ“探索”のすゝめ

村井俊哉
村井さん

確固たる目的があっての研究ではなく、答えがひとつでもなく中立的でもない、“中途半端”な「ぶらぶら散歩」ということから、いま考えてみると、じつは今日のいちばん初めの「自分の足で歩く」という話題にもつながりそうなんです。

お客さん
お客さん

出張の前後に東海道8kmを2時間かけて歩く、という……!

村井俊哉
村井さん

最近どこかで読んだある哲学の考え方というか、誰でも思いつくことではあるんですけど。われわれは、時間とか空間とかでできた三次元か四次元の「箱」のようなものの中を移動しているというイメージをなんとなく持っているじゃないですか。でも実際には、こちらの経験の側から考えると、「われわれが経験したり動いたりするからこそ、変化があるからこそ、時間があるんだ」という考えがあるんです。
そう考えると今度は「時間だけなく空間も、主観から構成される」ということになりますよね。もちろん止まっていても空間はあるんですよ。自分が止まっていても、近距離に視野を合わせたり遠距離に合わせたりで空間を探索することができますからね。でも、基本的に空間は、そこに決まった三次元の地図があるというよりも、「われわれが動いて発見していく」という見方もできますよね。
精神医学では主観と客観を行き来してそういう見方をするのが得意なので、「時間」については、そういう観点からの優れた論文もいくつも出ています。客観的な時間に対して主観的な時間というものを見直そうという感じの……。このことは空間についても同じことで、移動というのはいちばん「空間」を主観で認識しやすいですよね。

お客さん
お客さん

動いて地図を作っているようなものですよね。自分で足を運んでナンボ、というか、わたしが歩いて初めて空間の大きさが決まってくる、というか。

村井俊哉
村井さん

理屈だけで言うと、googleのストリートビューを見ていても同じものが見えるはずなんですけど、自分で行ったり能動的に動く探索というものがあって、それはとても大事だと思います。歴史ある町のおもしろさというのは、そこにありますよね。過去の時間軸が加わるので、現代だけでなく昔どうだったかを想像するとか……。この探索となると、断片だけ取り出してもおもしろくないです。ある時代のあるエピソードだけ取ってきて、次はまったく別のエピソードに飛んで、などと調べていってもね。

常連さん
常連さん

いまはインターネットから情報を引っ張ってくる。移動するときも「次はあそこを左に曲がりなさい」というように誘導されて行き着くわけですが、それは探索ではなくて、ゴールへの移動。書物の役割もそんな風に変わってきているんじゃないかなぁ。この事柄についての知識を得て、次はあの事柄の情報を得る、という感じに……。昔はかなり“探索”的な読書を愉しんでいたのが、ぼく自身も懐かしいです。

村井俊哉
村井さん

たとえばこの本(『精神医学の概念デバイス』)との関係で言うと、精神医学というのは「概念」を探索しているところがあって、それがおもしろいわけです。ある概念からある概念にたどり着き、また次の抽象概念に移動して、という風に探索しているわけです。カントみたいな感じに「基本概念がまずあって、世界はこのように構築されている」というのではなくて、実際には概念についても、われわれは「概念の空間」を探索をしているわけです。精神医学のおもしろさは“探索”のおもしろさにあるのかもしれませんね。探索しているうちにだんだんその「空間」に親しくなってくるので、ますます関心が深まっていく。
最近、それがなかなか難しくなっているのは、ネット時代にあって、観光とか歴史とかに対する興味が薄れていることと同じかもしれないですね。

常連さん
常連さん

ネットでも「サーフィン」というスタイルで“サーチ”はしているんですけどね。
たしかに知識は増えていきますが、何が違うかというと……。

お客さん
お客さん

違うのは、足を使うことかな。

村井俊哉
村井さん

五感はけっこう大事で、それが制約条件になるのがよいのかもしれませんね。行かないと出来ないし、行けない所には行けないですから。いきなり日本からブラジルに飛んだりはしないので、制約条件がある。ネットの場合、その制約条件が希薄ですよね。旅行では完全に五感が頼り。あるいは……自分の五感が制約条件になって、からだに入ってくる感じでしょうか。

常連さん
常連さん

からだに入る、ねえ。

村井俊哉
村井さん

旅行に行っても、覚えていることってほとんど、道に迷ったとかいうことですよね。史跡とかを見に行ったあとも、「あそこで苦労した」とかばかり覚えていて、肝心の目的地はそれほど記憶に残らないですよね。

お客さん
お客さん

途中のアクシデントのことばっかり、からだの感覚として滲みついて残っている。

村井俊哉
村井さん

専門領域の話もやっぱりそういうもので、「これが正解」というのがポンとあって「これを読んでおいてください」と言われるよりも、ウロウロ探索しているときの堂々巡りのほうが印象に残る。

常連さん
常連さん

ただし、空回りではなく……。

村井俊哉
村井さん

酒の入った場では、酔っていない人から見たら完全に空疎な会話がでぐるぐる回ってしまいますよね。カフェぐらいがいいです。たぶん、いま《GROVING BASE》でのトークのほうが、学者が飲み会で話していることよりは意義があるんじゃないですか。

お客さん
お客さん

答えがひとつでない“散歩トーク”が、カフェの醍醐味ということ? かな。

カフェでのトークは、からだで何かをつかむ「まちかど学問」にお似合い
▲カフェでのトークは、からだで何かをつかむ「まちかど学問」にお似合い

■協力 カフェ:GROVING BASE/取材:篠田拓也・但馬玲/編集:Office Hi

introduction 眼差しが交わるところ

[岡田暁宜]

 平成最後の秋に【木立の文庫】は誕生しました。
 「木立」とは、群がって立っている木や場所のことです。母なる大地で静かに発芽した木の芽は、長い年月のなかで木立となるでしょう。 【木立の文庫】という大地に根ざした「知」の木の芽は、最初は小さなものかもしれませんが、やがて「知」の木立となることを私は祈念しています。
 このたび【木立の文庫】の誕生に際して“リレーエッセイ”がスタートすることになりました。それに先立ち、本企画について簡単にお話ししようと思います。

 リレーエッセイというと、学校の先生が順にエッセイを執筆する「教員エッセイ」などを頭に浮かべられるかもしれません。私も、年一回程度の頻度で大学教員が順番に自由なテーマで執筆するエッセイを経験したことがあります。ある日、突然、原稿の締め切りを知らされて、慌てて執筆するというのが常でした。テーマがある場合にはそれに基づいて、執筆者はエッセイを執筆することになりますが、「教員エッセイ」のようにテーマが特に決まっていない場合には、エッセイを執筆すること自体が共通のテーマになるのでしょう。
 それに対して本企画は、《こころとからだの交差点》というひとつのテーマをめぐって三人が執筆することが特徴です。スタート前の私の印象を述べますと、このような“リレーエッセイ”は「集団における個人の自由連想」で、プロセスのなかで「集団としての自由連想」となるかも知れません。
 さらに私が今回の“リレーエッセイ”で連想するのは〈連句〉です。連句とは、長句(五、七、五)の情景に対して、連想したことを短句(七、七)としてつなげるものです。以前に私は集団で連句をやった経験がありますが、そのときも精神分析における自由連想のことを連想したことを記憶しています。

 〈連句〉でいえば、本稿は「発句」といえるかもしれません。
 集団精神療法や連句では、決まった設定があります。今回の“リレーエッセイ”では、三人でおよそ月刊のペースでバトンをつなぐという設定となります。私の以前の体験と比べてかなり高頻度で、エネルギーを要する「エッセイマラソン」となるかも知れません。経験的に、精神分析では、話すことがなくなってから話すことに自由連想の意義があるといえましょう。もしかすると書くことがなくなってから書くことに、私たちの“リレーエッセイ”の意味があるのかも知れません。

環状交差点(ラウンドアバウト)のように、こころとからだの交差点には信号機はいらない。
環状交差点(ラウンドアバウト)のように、こころとからだの交差点には信号機はいらない。

 この“エッセイのリレー”をスタートさせるにあたり、執筆者について触れる必要があるでしょう。
 エディターの津田敏之さんからいただいた《こころとからだの交差点》というテーマから私が連想したのは、齋藤清二先生でした。齋藤先生は、私がかつて心身医学や心身医療に取り組んでいた頃にこの領域の先輩で、私がキャンパスメンタルヘルスに携わるようになったときにも、大学保健管理センターで働く医師として先輩の立場でした。齋藤先生は、内科医であり臨床心理士でもあるが精神科医ではないという立場で、ユング心理学に造詣深く、「ナラティヴ」という領域の第一人者です。私は、齋藤先生と出発点は同じですが、心身医学から精神分析や力動精神医学へと変遷を遂げているという点で、齋藤先生とは異なる視点を有しているといえるかも知れません。このように異なる立場の人間で同じテーマで“リレーエッセイ”を展開するところが、本企画の特徴です。
 そのような視点で、第三の執筆者の候補者を齋藤先生にご推薦いただくことになりました。そして齋藤先生から磯野真穂先生をご推薦いただきました。じつは本稿を書いている時点で、磯野先生と私は直接面識はなく、たがいにメールなどでもやりとりをしたことはない関係です。Web上で得られる情報を拝見すると、磯野先生は、早稲田大学人間科学部スポーツ科学科を卒業し、オレゴン州立大学で修士を、早稲田大学で博士を取得した後、早稲田大学での勤務を経て、現在は国際医療福祉大学大学院で講師をしておられます。摂食障害や精神医療などに関する業績も多く、相当に広い視点をもっておられるに違いありません。個人的にとても楽しみにしています。
 齋藤先生と磯野先生と私の三者の背景をみる限り、三者の視点の相違は、専門・職種・性別・年代などにおいて、とてもバランスがよいという印象です。

 三者による対話は「鼎談」とも呼ばれますが、“リレーエッセイ”は、それとも異なります。私にとっていろいろな意味で新しい体験となるでしょう。【木立の文庫】の門出としても、本企画が創造的なものになることを心から期待しています。


岡田暁宜 おかだ・あきよし
名古屋工業大学保健センター教授
1967年生まれ、名古屋市立大学大学院医学研究科修了、医学博士
愛知教育大学・准教授、南山大学・教授を経て現職。精神分析協会・正会員
2010年、精神分析学会山村賞受賞

まちかど学問のすゝめ 其の一

真実はひとつだろうか? 前半
(2018年10月30日)


Cafetalk over “truth” (the former)

●村井俊哉
1966年大阪府生まれ、精神医学者。京都大学大学院医学研究科教授
最新著『精神医学の概念デバイス』(創元社, 2018年)
●お客さん
1968年神奈川県生まれ、歴史家
●常連さん
1967年大阪府生まれ、GROVING BASE住人

村井俊哉氏(京都大学大学院医学研究科教授)
▲村井俊哉氏(京都大学大学院医学研究科教授)
常連さん
常連さん

今回も 《GROVING BASE》カフェへようこそ! 今日も歩いてのご来店ですね。いつも動きやすそうな出で立ちですが、その靴は……。

村井俊哉
村井さん

この靴は前から見るとビジネスシューズみたいなんですけど、じつはスニーカーなんです。会議とかにもこれで十分ですしね。この週末も東京での出張の前に時間があって、この靴で東海道を藤沢から戸塚まで8km歩いてきました。

お客さん
お客さん

藤沢から戸塚まで! わたし神奈川県の出身なんですが…… あそこはアップダウンがあって、歩くのに慣れていても2時間はかかりますね。

村井俊哉
村井さん

ハイ、遊行寺坂。この2時間という制約がちょうど人間の体験には好都合なのかもしれませんね。人間の脳の処理能力には限界があるので、8kmを一気に見渡せと言われても結局、処理できないじゃないですか……。私はいつも『〇〇県の歴史散歩』っていうのを持って旅行するんですが、あのガイドブックを見ながらの2時間というのが、とてもいい具合なんです。

常連さん
常連さん

オッ『歴史散歩』シリーズ〔山川出版社〕ですね! こちら(お客さん)たしか…… 歴史の専門家さんでしたよね? 前回のカフェ・トークでは《専門家と素人》という話題(精神医学や臨床心理学は「素人」的な学問/歴史学や哲学は「専門家」的な学問、との話)もありましたし…… いっしょにお喋り、いかがでしょう。

村井俊哉
村井さん

あの『歴史散歩』シリーズの著者の多くは郷土史家ですよね、中学校の先生とか。でも、ものすごくよくできている。そういう意味で“歴史”というジャンルは、素人からもアクセスしやすいといえるのでしょうか。

お客さん
お客さん

そうですね。「アクセスのしやすさ」っていうことの中身を考えると、ひとつには理系の学問のような実験装置とかが要らない。身近に図書館や資料館があれば文献も集められるし……。

村井俊哉
村井さん

僕は昔バックパッカーで海外を旅行していたんですが、ジャングルを遡って川の真ん中からジャブジャブ入って上陸するんですけど、昔の専門書に『このあたりはまだまだ人が来ていない村がある』と書いてあったのを思い出して、行ってみるんですが、人類学の専門家よりも先にバックパッカーが先に来ているということもありました。

お客さん
お客さん

どっちが専門家かわからないですね。

健脚な村井氏。かつてはバックパッカーとして地球を歩き倒したとか
▲健脚な村井氏。かつてはバックパッカーとして地球を歩き倒したとか

素人の“アクセス”と一家言

村井俊哉
村井さん

そんな比較文化学も「足で稼いでアクセス可」な分野ですよね。もうひとつ、「直感でアクセス可」と思われる学問に、精神医学があります。ほんとうは割とアクセス困難と思うんですが…… 例えば、素人は薬を使えないし……。でも、素人だけど「自分のほうがよくわかっている」と思えてしまうところが精神医学にはあります。それにも一理はあるんだけど……。

お客さん
お客さん

心理学みたいな話題についても、素人ながら誰もが一家言ありますよね。

村井俊哉
村井さん

そういう不思議なところはありますよね。精神科の診療場面でも、患者さんに対して専門家的にはこうなっていますと言うと、『いや、あなたはそう思うかもしれないけど、わたしはこう考える』と言われる方が結構いらっしゃるのです。それは患者さんであることもあるし、付き添いでこられた職場の同僚の人が、自分の思う精神論みたいなものを述べられることは割とあることです。でもそんなこと、精神科以外の科では、まぁ滅多に言わないですよね。専門家の言ったことを信じるか、他の専門家に聞くかですよね。

お客さん
お客さん

素人がわかりそうに思わない分野って、どんなものがあるでしょう?

村井俊哉
村井さん

例えば宇宙工学なんて、ふつうの人は一家言もっていないですよね。

お客さん
お客さん

星が好きな人はいっぱいいるけれども……。じゃあ逆に、専門家というのは何をもって自分の専門性を自覚するのでしょう…… 知識量なのか? 関わってきた時間の長さみたいなものか? それとも技術みたいなものなのか?

村井俊哉
村井さん

もうひとつあるのは、たぶん資格ですね。

お客さん
お客さん

それがあると、たぶんわかりやすいですね。

村井俊哉
村井さん

資格というのは要するに形だけのことではあるんですけど、それでも、資格を持つ本人に対しても社会に対しても「専門性」を担保しているところがありますね。何を担保しているかというと、経験年数と知識です。一定の経験年数が受験資格になっていますし、試験の成績で知識を担保することができます。一応はそうなんですけど、よく考えてみると危うい土台の上にあることは確かですね。経験や知識や資格が十分だとしても、そもそもその分野そのものが確かなのか? と。

お客さん
お客さん

精神医学でも、そういう視点はありますか?

村井俊哉
村井さん

昔から繰り返し、疑いの目が向けられてきたように思います。ただ、そうした疑いの意見をさらによくみていくと、精神医学の専門性を疑う意見には二つの方向があるように思うのです。
ひとつは「他の医学の進んだ分野に比べると、科学としていい加減だ」という意見。証拠も少ないし、自然科学としての基礎がなっていない、ということがよく言われるんですね。私はこの分野の専門家ですので、そうした意見に対しては、いやそんなことはない、精神医学もけっこう科学的だと意見しなければならないのです。
そして、もうひとつの疑念があります。それは私自身見落としていて、最近ある方から言われてああそうだなと思った、まったく反対の方向からの意見なのです。「精神医学は本来サイエンスなどであるべきではない。それなのにサイエンスの体裁をとった、近代資本主義が生み出した悪しき行為である」みたいな意見です。
精神医学とは本来はこころとこころの触れ合いなので、科学の体裁などとるべきでない! と言って批判する人がいる一方で、反対側の人は、まだまだサイエンスとしての体裁が不十分で、もっと科学にならないといけない! と批判するのですね。

精神医学と歴史学、「ひと」を扱う学問領域のアプローチを語り合う
▲精神医学と歴史学、「ひと」を扱う学問領域のアプローチを語り合う

“おもしろさ”のツボ

お客さん
お客さん

それは歴史学も同じかもしれないです。

村井俊哉
村井さん

たぶんそうでしょうね。歴史学は僕の知る範囲だと、精神医学と同じ時期に同じ議論がありました。自然科学がどんどん発達して、19世紀の終わりくらいに割と本気で「すべて自然科学になるんじゃないか」という期待が高まっている時期がありましたね。
たとえばナポレオンがロシアに侵攻したのはなぜか? という問いへの自然科学からの答えとして、当時のロシアの地政学的条件とか気象条件とかいったことで説明するという方向に学問が振れたのではないかと思うのです。それに対して、ナポレオンがロシアに攻め込んだことをナポレオンの性格とかそういうことで説明するというやり方もあって、歴史の説明は、やはり個人の動機が大事だ、という意見も根強くあって、そうしたなかで、歴史学という学問がふたつに割れるということになった時期があったのではないでしょうか。
ちょうどこの時代に、精神医学にもふたつの方法があることに気づいた先人がいました。精神医学でも、個別の動機よりも、リスクファクターとか検査データとかいったものがはるかに重要だという専門家と、いやいや「こう思ったからこうした」という動機のほうが大事だ、という専門家になんとなく分かれていく流れができたのですね。いまでもその分裂が残っている点は、歴史学と一緒ではないでしょうか。

お客さん
お客さん

人物史の流れと、必ずしもそのときの判断ではなくて法則のようなものがあるというような流れと。個人的には、わたしも最初あるいは最近は、人物がおもしろいと思っていました。つい最近までは制度とかがおもしろいというように変わっていて……。学問の流れとしては、理系的にやるのと文系的にやるのとで、あまり明確には分かれていませんが、基本的には「実証」が大事だということかもしれません。

村井俊哉
村井さん

織田信長はあの時こう思ってこうしたんじゃないかな? とかいうのはダメなのでしょうか。

お客さん
お客さん

だいたい一般的には、テレビでも「信長の判断」の感じのほうが受けると思いますけど……。研究としては、信長個人の判断だったとしても、「そう判断した、という証拠を持って来い」という考え方、それを「実証」ということばで表現しているかもしれません。

村井俊哉
村井さん

僕はドイツに旅行したときに、ドイツの小さな町の歴史に、それこそ郷土史家的な意味で詳しくなって、向こうの研究者と話をしたんです。そして『よく知っていますね』と褒められて、それは嬉しかったんですけどね。でも『ぼくたち専門家の実際の研究では、そのときどこの村では税金をどのように課したとかいうことを地道に調べているだけです』と言われたことがあります。

お客さん
お客さん

そうですね。おもしろい/おもしろくないは、やっぱり…… 調べたりした作業の上に「どう表現するか」というところにも分かれ目があって……。

村井俊哉
村井さん

本当に統合された視点というのは、ちゃんと証拠を置いた上におもしろい解釈があるみたいな……。その点でも、精神医学と歴史学はかなり似ているところがありますよね。

お客さん
お客さん

あくまでも実証の上に“物語”を描くという。

村井俊哉
村井さん

こうしたことを考えるときに、私たちがどういう観点からそれぞれの研究や書物を評価しているかというと、やはり「専門性」ということを評価していると思うのです。特に、自然科学から見た専門性という場合には、「客観性」が重要視されますよね。じつは客観性という言葉にはいくつもの意味があるのですが、そのなかに「人によって異なる意見が出てこない。誰がデータを取っても出てくる提案は一緒だ」という意味での客観性が、自然科学では重要視されています。

お客さん
お客さん

最後にニュートラルな主張が出てくることこそが、よい自然科学である、と。

村井俊哉
村井さん

それに対して客観性を重要視しない分野では、「あなたの言っていることと私の考えは別だ」ということを皆が堂々と言っている。ロボット工学とかでそんなことを言わない理由としては、「自分にはよくわからないから」というのもあります。ただ、もうひとつ、“真実はひとつのはずだ”という前提があるので、“いろんな意見がある”ということが前提とされていない、という理由もあると思います。

お客さん
お客さん

なるほど…… そうか。

ナチュラル感があふれるGROVING BASEのカフェでトークは続く…
▲ナチュラル感があふれるGROVING BASEのカフェでトークは続く…

「真実は一つだろうか? 後半」の掲載は2019年1月22日(火)
【木立のカフェ】次回のお喋りは1月25日(金)の予定です
興味のある方は【お問い合わせ】フォームからご連絡ください。


■協力 カフェ:GROVING BASE/取材:篠田拓也・但馬玲/編集:Office Hi

非常識らしさの発想(2)

[藤中隆久] 


想定無用“いま”のリアル
~前回からの続き~

 文楽の人形遣いの桐竹勘十郎は、内田樹との対談のなかで、稽古に関して次のような発言をしている。

 「僕は、最近冗談半分で稽古なんかしても無駄だからって言ってるんです。だって、舞台稽古を何日もやっても、ただの段取り稽古でしかない。(略)うちの師匠は、ものすごく段取りが嫌いで、『段取り芝居ほどつまらないものはない』とおっしゃっている。だから、ぶっつけ本番大賛成。」

 これを読んで「文楽の人形遣いなんて“ぶっつけ本番”が通用するお気楽な世界なんだ」と思ったらそれは、そう思った人のほうがお気楽なのだ。文楽は決してお気楽な世界ではない。何十年もかけて弟子修行をしながら芸を高めてゆく、きわめて厳しい伝統芸能である。
 文楽は、真ん中の主遣い、右の足遣い、左の左遣いの三人が一体の人形に、舞台で語られている浄瑠璃のストーリーを演じさせる芸能である。三人で一体の人形を動かし、まるで人間のような動きをさせるのである。人形の体と手と足がバラバラにならないよう三人で一体の動きが出来なければいけない。しかも、人形遣い同士は言葉で意思疎通はできないので、三人の動きをお互いに感じながら、無言で意思疎通をしながら、人形に一体の動きをさせるのである。言葉を使わずに感覚だけで相手の意図を感じる訓練が必要である。俗に「足遣い十年」といわれていて、人形の足を体と連動させて動かせるようになるまでに十年はかかる、ということなのである。
 前述の勘十郎は、足遣いを15年やったとのことである。このときの訓練は、いまここを感じることに尽きる。ぶっつけ本番の舞台という緊迫した状況のなかでいまここをリアルに感じることが、すなわち訓練となる。それぞれの人形遣いが人形の体感をいまここで共有し、それぞれが、その感覚に問いかけ続けながら人形を動かせば、そのとき、自然に人形の体と腕と足が一体となって、お芝居のシーンと調和のとれた動きとなっているはずである。つまり、人形遣いはいまここの感覚に照合しながら動くことがもっとも大切である。段取り稽古ばかりやると、いまここの「照合する感覚」は鈍化してゆく。

非常識らしさの発想-後編

 僕は面接で、受験生といまここの会話をしたいのだ。受験生には質問に対して、いまここで感じたことを答えてほしいのだ。面接官の問いに対して、想定してきた答えを思い出しながら、よどみなくスラスラと答えようとする意識は、「いまここで自分が感じたことを言葉として紡いでこうとする思考」の妨げになるはずだ。人間同士の会話は、ちょっとした言葉のニュアンスで、受け止め方や感じ方は変わるはずだし、受け止め方が少しでも違えば、そこでまた何かを新たに感じるはずだ。そのような“やりとり”を、入試の面接という場で僕はしたいのだ。
 試験官も面接がどのような方向に進むかは予測不能。だから、想定問答などは無意味。受験生としては、想定していない方向に会話が進むと不安になるかも知れないが、それこそが、面接の醍醐味なのだ。自分が想定していない方向に会話が進むと不安になって、それを圧迫面接と受け取るような人は、あまりに精神も頭脳も脆弱ではないだろうか。
 受験生がいまここで考えた末に出した答えに対しては、当然、僕だって、ものすごく真剣に、いまここで感じたことを答えるだろう。そのような“やりとり”を繰り返してゆけば、ふたりのあいだに交わされる会話のクオリティはどんどん高まってゆくだろうし、そのような“やりとり”を繰り返してふたりの共同作業により到達した結論は、非常に説得力のあるものになっているはずだろうし、面接が終わったときには、ふたりともに、爽快な気分になっているだろう。

《どうして、我が大学を受験したんですか?》
『はい、まずは、教育実習制度の充実です。貴学では豊富な経験を段階的に積むことができるので、理論と実践の両面からしっかり学べると思ったからです。以上です。』

こんな会話は、僕はまったく望んではいない。

《どうして、我が大学を受験したんですか?》
『地元だし、偏差値的に受かりそうだから受験したんですが……。でも、今日来てみたら、面接官の先生方がみんな優秀で、イケメンで、わたしの受験の理由はコレだ! って、いま、思いました。』

僕は爽快な気分になって、思わず言ってしまうかもしれない――《もう、君、合格!!》
(2019年1月8日)


藤中隆久藤中隆久(ふじなか・たかひさ)
1961年 京都市伏見区生まれ 格闘家として育つ
考えなおして1990年 京都教育大学大学院教育学研究科修了(教育学修士)
九州に渡り1996年 九州大学大学院教育学研究科博士後期課程修了
南下して1999年から熊本大学教育学部 2015年から教授
推定5.8フィート 154ポンド